「わたしのマンスリー日記」第16回 生き地獄を見た

生き地獄

 悲劇はそれからでした。実は2月1日から15日までの2週間の日程で定期検査入院することになっていました。いつも通りの気持ちで入院のはずでしたが、入院時の簡単な検査でコロナと診断されてしまいました。それから2週間は生き地獄さながらでした。こんな苦痛が続くくらいなら死んだ方がましだ。瞬時そう思いました。
 生き地獄の入り口に待ち構えていたのは、呼吸器の交換による痛みでした。平時の私は、喉の気管切開をしたところにカニューレという器具を埋め込み、そこにチューブを通じて呼吸器から空気を送るというシステムの中で命を繋いでいます。毎日20回ほど行われることになっているのは、チューブを外してたまった湛を吸い取る「吸引」というケアです。私たち人工呼吸器装着者にとっては、この「吸引」は死活問題なのです。呼吸器の交換による痛みは想像を絶するものでした。それも吸引時だけではなく、24時間続くのですからたまったものではありません。
 この痛みに追い打ちをかけたのは「環境リズム」の変化です。「環境リズム」とは私の造語ですが、要するに毎日ルーティン化して行われている環境のリズムのことです。自宅と病院の環境リズムの違いを決定づけるものは、自宅ではヘルパーであるのに対して、病院でのケアを担っているのは看護師だということです。
 私の場合は、ほぼ毎日20時間程度ヘルパーに入ってもらっています。その時間帯は、ヘルパーは私のためだけに働いてくれるので、細部にわたる指示も徹底できるということになります。例えばポジショニングの取り方や口腔ケアなどは個人によって異なるので、ある程度担当し続けないと会得できません。

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